これだけネットで情報も、それこそ映像込みで音楽そのものも無尽蔵に視聴できるようになっちゃうと、あえて「モノの形で所有する」コスト(物理的にも、精神的にも、経済的にも)をかけるのがうざい、、というのが、悲しいことに、パッケージ至上主義者であったこの私ですら感じるところでして、、。
かつては、モノで持っていなければアクセスしようがなかった音楽や情報に、クリック一発で簡単にアクセスできちゃいますからねー。CDプレーヤーすら全く使ってないですもん。音楽聴くのは100%、iPod。
それこそ10年前だと、カセットMTR(泣)にアナログ・プレーヤーつないで、一生懸命リアルタイムでMIX TAPEをつくってたもんだけど、今はとっくに、すべてMac上で、しかも、テープではなくCDに落とすとこまで完結しちゃう時代になっちゃってる訳で。12インチや7インチは、かえって使いにくいのよね、これに慣れちゃうと。
私の場合、30歳を過ぎて、自分にとって必要な情報と不必要な情報がようやく(以前よりは、ですけど)見えるようになってきて、必要なものさえあればいい、そうじゃないものは、むしろ邪魔、と感じる年頃になってきた。っていうのも大きいかと。
「とりあえず押さえ」とか、「世の中的に名盤」とかいう判断で手元に置いてるものの、よくよく心に感じるものを見て行くと、じつは自分自身にフィットしていた訳ではない、というものや、年齢とともに今の自分にフィットしなくなってきたものが、だんだん邪魔に感じるようになってきており。
10年前だったら、PIZZICATOの限定のアナログ盤なんて「絶対売らない!」って思ってたと思うんだけどねえ。
高度情報化した生活スタイルの定常化と、個人的なライフ・サイクルが、ちょうど「手持ち情報のシェイプアップ化」にぴったり向かっている、っていうところ。と言うか。
もう一歩、心身と脳内と部屋の荷物を、すっきりさせたい心持ちであります。
、、が、まあ「明らかに不要」なものを手放すのは簡単なんだけど、なんだかんだ言って、持ってるものには「持ってるだけの理由」もあるもので、現状以上に刈り込みを入れるのって、結構、気合いで選別しないと進まない、って所もあって、今の所有量から増えたり減ったりしながら、結果総量は微増、、とうのが、この数年変わらずの状況なんですけどねー、結局。むー。
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